ひとえに風の前の塵に同じ

刀剣乱舞の歌仙兼定推し。色々なイメージ作品を作ったり妄想したりのんびり暮らしたり。猫好きもふもふ。記事・画像の無断転載お断りです。

神の不在で何が変わるのか。

婦人画報の3月号の写真が
東日本大震災から10年後の
福島の写真が載っていたのですが

 

心を掴まされる写真で
ストンと落ちた記憶の穴を
振り返っていました。

 

浪江町の浜で一輪の白菊を砂浜に生けてある
写真が凄く印象的でした。

 

強風を受けて白菊は折れそうでありながらも
海を見つめる。
目を離せない現実と経過を思いました。

 

 

他にも牛の白骨した頭部に生けて咲く花の写真

 

 

ある場所では
牛の畜産が行われていたのだけど
原発事故後、そこは立ち入り禁止区域になり
進入禁止で餌もやれない。

作業者・住民の往来の為
道を塞ぐ危険性を考えると放牧もできず
被爆の可能性で牛を売る事も出来ない。

その為、牛舎に繋がれたままの牛は
多くが餓死をして
誰にも食べられることも無く
餓死した事実がある。

 

餓死。なんて辛い言葉だろうと思う。

 

食べられるために大事に育てられた牛が
その役目を迎える前に
一番、苦しい死に方を迎えた事。
苦しかっただろうと只々、思う。


牛では無かったけど
毎年林檎をお歳暮に送って下さる親戚が
居たのですが
その年は別の物が送られてきたのを
よく覚えています。

 

復興支援・災害支援をしたいけど
放射能による被害危惧で
贈答品として送る事ができない事情。
(関連情報も錯綜していたし)

 

贈られた先方が悪意で捉えられたら
そう思うと送れなかったのだと思う。

毎年契約した農家さんから
送られてきたので

物凄い葛藤の上に
林檎では無い物を
送ってきたのだろうと
思うと

ぽっかりとした穴を感じました。


そうか、もう10年かぁ……。

 

 

 


King Gnu - 泡

 

 

辛くても、生き続ければ
未来は変化してゆく
生きていればこその
10年